![]() 8月1日午後、オープンガーデン信州のお客様7名を駒ヶ根に迎えた。 伊那市西春近のかんてんパパガーデンで食事をした後、 駒ヶ根の田村さん、坂本さん、田中さんらのお庭を鑑賞した。 元信州大学教授の藤田先生のご紹介であった。 私は伊那日中友好協会の役員会に出席する為、途中までの案内となった。 ![]() ローメンの発案者である「萬里」食堂の伊藤和弌氏から冷やしローメンの試食に誘われた。 伊那市のスローフード「ローメン」。 暖かいローメンは、ラーメンではない、焼そばでもない、不思議な味だ。 冷やしローメンは薬味が効いて、さっぱりとした、夏の味に生まれ変わっている。 ちなみに、ローメンは蒸し麺を使用し、6月4日は「ローメンの日」として登録もされている。 ![]() 3日4日と東京・千葉に出張した。 真夏の東京の気温は33度Cを越えた。 銀座の得意先を訪問すると、うだるような厚さに、ハンカチがびっしょり濡れた。 夏は特に、信州に家があることを倖に思う季節だ。 二日目は渋滞を避けて、久しぶりにアクアラインを通過し、 横浜、御殿場、河口湖経由で信州に戻った。 ![]() 8月6日土曜日、夏はお祭の季節だ。 この日は、伊那まつり、中川ドンちゃん祭、そして、松本ぼんぼん、長野びんずる・・・・。 夕方からは駒ヶ根花と緑と水の会の花壇整備、そして懇親会。 気のあった仲間同士で交わす会話や食事やお酒は、倖を感じるひと時だと思う。 我家の庭も、夏の彩りに変わっていった。 ![]() 北割の北原にある農家の木戸先。 お盆花のために準備された花の畑。 アスターやオミナエシ、ケイトウやミゾハギ、・・・・。 春から秋まで、様々な花が咲き誇る、素朴さが美しい、農家の庭先。 8月8日、国会は参議院で郵政改革法案が否決され、小泉首相は衆議院を解散した。 ![]() 9日10日、再び千葉東京に出張。 このところ、地震が多い。 「国が荒れると、天変地異が起こる」とも言われるけれど、 人類の文明そのものが、大きな過度期に差し掛かっているのだろう。 暦の上では立秋をすぎて、秋。 真夏から晩夏へ、たそがれが美しい季節がやってくる。 ![]() 木戸先の蓮の田圃に淡い桃色の蓮の花が咲いた。 大きな葉っぱに大きな花影を落としている。 両手で包みきれない大きさ。 夏の朝の壮麗な大気の中で、蓮の花の姿は、厳かに神々しい。 ![]() 8月13日、日帰りで千葉に出張。 昼頃、妻から友人の死の知らせが届きました。 先月24日、菊川の病院に見舞った妻の無二の親友の死。 15日の日曜日、御前崎市の山懐にあるお寺で行われた葬儀に、二人で参列しました。 お母さんを物心つく頃に亡くし、その後、お父さんが再婚。 結果として4人姉妹の長女として、自分の事より人の事を優先し、 ガンの手術を受けた後も看護師に復帰し、常に他人の事に費やした人生。 49歳、優しく強く、そして明るく、ひたすら、前向きな人生でした。 ![]() 今年のお盆も慌しかった。 14日、三月に亡くなった同級生の家を初盆でたずねた。 庭先にはガーデニングがなされ、きれいな花々が未亡人の心を癒していた。 夕方からは町の商店街の企画に参加して、駒ヶ根太鼓を演奏した。 15日には、家内の友人の葬儀に初めて御前崎市を訪れた。 山の斜面に広がるみごとな茶畑、セミの声、潮風の香り、忘れられない夏。 その日はまた、長男の成人式の日でもあった。 早朝7時から地区での成人式、そして氏神様へのお参り、文化会館での成人式。 責任を持ち、自立した大人に、なってくれることを願う。 16日、宮城県沖で再び大きな地震、遠く離れた南信州でも震度3の揺れを感じた。 死者こそ出なかったものの、けが人が多数でたもようだ。 お盆の帰省客の足に大きな影響が出た。 ![]() ![]() ![]() ![]() △昔ながらの素朴な朝顔の花。 朝顔の開花日記をつけた幼い頃が懐かしい。 △朝露に濡れて咲くムクゲの花、一服の清涼剤。 槿花一朝の夢、朝に咲き、夕べにはしぼむ一日花。 △次々に咲く清楚であでやかな芙蓉の花。 「今朝も一つ咲きし芙蓉のあざやかさ きのふの花は既に散りたる」大悟法 利雄。 △毎朝たくさんの花をつけるトロロアオイ、別名は黄蜀葵。 花は食用で、オクラのように粘粘(ねばねば)があり、独特の噛み応えがとっても新鮮。 ******* お盆の頃には、ご先祖様への仏壇を飾る「お盆花」が色とりどりに咲いている。 迎え火で迎え、花で飾り、親戚縁者が集い、故人を偲び、送り火で送る。 穏かで美しい日本の心の風景。 ![]() 17日18日、再び東京・千葉に出張。 盆明けで都内は大渋滞。八王子から穴川まで2時間もかかってしまった。 都内は、相変わらず蒸し暑い。 19日夜、東伊那の農業公園で行われた「囲炉裏端塾」。 山の道化師の塚原成幸さん(日本クリニクラウン協会)の講演。 笑いと健康について、たいへん良いお話しをお聞きしました。 20日土曜日午後は休日にして、少々夏ばて気味の我家の花壇の手入れ。 「園芸福祉と笑い」、健康へのキーワードが此処にある。 ![]() 21日、倉庫から箱にして100箱、約1.5tの商品をトラックに積み込み、 翌22日には日帰りで同僚と千葉までとんぼ返りした。・・・・・疲れた。 23日夜には伊那日中友好協会役員らで、 中国人留学生の伊那市でのホームステイ歓迎会を行った。 小坂市長、三沢議長、市役所職員らと、二人の留学生との歓談を楽しんだ。 翌24日、多少二日酔い気味ではあったが、予定通り名古屋まで商談に・・・。 そして、25日26日は台風11号が関東を訪れるなか、再び、東京・千葉へ。 仕事が重なるときは、いろいろと重なるものだ。 26日は、午後3時から駒ヶ根での市民会議。 28日の日曜日の午後は、駒ヶ根花と緑と水の会の花壇整備と役員会。 夜は高遠町のとある民宿で、囲炉裏を囲み、気のあった方々と郷土料理に舌鼓。 「倖とは食べること」かもしれない。 家族と、親戚と、気の会った仲間達と、美味しい食事ができる時が一番幸せ。 ************ 壊れたカメラを修理しようか迷っていたが、 発売後一年を経過した旧在庫が破格の値段で売られていた。 10倍ズームのカメラを再び手にして、朝の中央アルプスを撮った。 ![]() 29日30日にはU.S.Aを史上最大とも呼ばれるハリケーン「カトリーナ」が襲った。 日本の30日は、9月11日の衆議院選挙に向けて選挙戦が始まった。 私は30日31日、再び千葉に出張した。 勤務先で6年程前から千葉に出店していた店舗をとうとう売却。 30日は最後の営業日となった。 開店以来のスタッフが4名いた(たいへんお世話になりました、感謝です)。 翌31日は、最後に残った店長と二人で残務処理をした。 朝10時に店舗に出勤すると、店長は既に来ていた。 彼は、私を見ると直立不動で言った。 「私の力が足りず、こんなことになってしまって申し訳ありませんでした。 とうとう最後の日となりましたが、精一杯やりますので、今日一日よろしくお願いいたします。」 店舗では売却先の人々が、ばたばたと作業をする中、 まるで、敵が攻めてくる中での最後の仕事、沈み行く戦艦での最後の仕事、の様だった。 数々の計算を終え、売却先に説明し、代金を振り込んでいただいた後、全ての鍵を手渡した。 その後、パソコンをはずし、事務所を清掃し、店長と最後の仕事をした。 お世話になった店長は30代を目前にして、再度の転職。 しばらくは雇用保険で暮らし、資格を身につけて再就職に望む予定だという。 良い時があれば、悪い時もあった。悪戦苦闘の日々だった。 コンビニ同様に朝から晩まで年中無休の店舗だった。 大晦日も元旦もクリスマスもお盆も朝から晩まで営業した。 様々な思いが脳裏を横切った。 やがて、売却先の方と挨拶を交わし、事務所のドアから外に出た。 店長と最後の挨拶をし、握手をした。 彼は、にこやかに笑いながら握手を返し、頭を下げた。 そして、神妙な顔つきに変わり、事務所のドアに向かうと再び、深々と頭を下げた。 午後4時、荷物で一杯になったハイエースを運転し、千葉を後にした。 都内を抜けて八王子インターを通過する頃、大きな真赤な夕日が地上近くに燃えていた。 まるでドラマの一シーンのように、なぜか無性に涙がこぼれ、頬を伝って流れていった。 ![]()
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