「沖縄の3日間」

1996年7月31日
小 原 茂 幸

多忙な毎日をやりくりして、
職場の同僚6人で沖縄に行ってきました。
メンバーは21歳、24歳、25歳、26歳、30歳、42歳、
男性4人、女性2人です。
私一人が平均年齢を押し上げています。
2泊3日の短い旅です。

星がきれいな土曜の明け方午前4時、
駒ヶ根インターから中央高速に入り、
美濃路では、すがすがしい朝日を浴びながら、
妙さんの作ってくれたおにぎりをみんなでほうばり、
快晴の名古屋空港に着いたのは午前6時。
飛行機は8時には離陸し雲の上に。
25歳の久保田君は生まれて始めて飛行機に搭乗。
大空を飛ぶ鳥に変身しました。
やがて、眼下に小島の緑を眺めると感嘆のため息。
予定通り10時には那覇空港へ無事着陸。
空港ロビーを出れば、そこはもう熱帯。

眩しく強い光と熱気、そして濃い大気。
予約してあったレンタカーに乗り込むと
地図を頼りに柴田君の運転で、
一路国道58号線を北に向かったのでした。
途中ブルーシールアイスクリームパーラーに立ち寄り、
しばし涼と甘を楽しみながら、
道路は快適、流れはスムーズです。
レンタカーの多いことや、
鉄筋コンクリートの家が多いことにびっくりしながら、
左右に広がる南国の景色に見とれるのでした。
そして、米軍基地。
基地の広大な緑の芝生、そして鉄条網。
遥か彼方まで延々と続いていました。
やがて、右手に広がる海。
明るい青。
コバルトブルー、エメラルドグリーン、白い砂浜。
白い家、ブーゲンビリアの赤紫、そして、シーサー。

民族テーマパーク「沖縄村」。
まだ、シーズン初めということもあり、閑散としていました。
藍染めや、焼き物、砂糖作り の素朴なたたずまい。
緑の木々、セミの声、光と影、時折聞こえてくる蛇味線の音。
ハブやマングースは遠慮して、
木造の建物と瓦屋根の沖縄の家をじっくりと見て歩きました。
様々な顔や姿をしたシーサー。
汗ばむ陽射しにそよ吹く風が心地よい。
シーズンを外れた観光地のように、
取り残された時間が行き場を失ったかのように漂っていました。

やがて、恩納村のリゾートへ。
その日の泊りはルネッサンスリゾート・オキナワ。
まさにリゾート。
11階吹き抜けのアトリウム。
プライベートビーチ。インドアプール。いるか、レストラン。
そして、結婚式。
滞在中に5組ほどの結婚式に遭遇しました。
シーサイドチャペル、潮騒のバージンロード。
時ならぬ結婚式に、新郎新婦の慶びを、
招待者ばかりでなく宿泊者までが祝福し、
水着の女性たちもウエディングドレスに歓声とため息を漏らし、
新たな2人の旅立ちに心暖まるものを感じるのでした。

昨日までの日常が完全に遠ざかっています。
とってもゆったりした気分。
仕事から解放されて、ゆっくり、ゆったり。
波に漂い、プールに漂う快感。
ミストサウナや海水ジャグジー。
若者のように張り切ってマリンスポーツに挑戦しなくても、
ゆったり、ゆっくりが心地よい年齢になりました。

やがて、日は水平線に近づき、
ホテルの窓辺の明かりとガス灯の明かりを背にして、
磯辺で夕方の風をうけながら
沈む夕日を眺めたのでした。
沖にかすかに瞬く島の灯かり。
やがて、天界には星が煌きはじめ、
心地よい大気に包まれ、
太古の時代から繰り返す波の音。
そして、潮騒を聞きながら海辺のレストランで空腹を満たし、
一番若い河野君ともども
その夜はベッドでバタンキューで寝てしまいました。

翌日はみんなゆっくり朝寝坊をして、
お腹一杯朝食を摂り、フリータイム。
男性3人は海へおもむき、
私は美っ子さんと恵さんに連れられて、
万座毛やムーンビーチをたずねました。
タクシーのおじさんに柔らかい方言の在る説明を聞きながら、
しばし、沖縄を実感するのでした。
そして、お昼はバス停の前で見つけた大衆食堂。
豆腐や豚肉のチャンプルー。
庶民の味で500円でお腹いっぱいでした。

午後2時半、恩納村からバスに乗って那覇に向かいました。
けだるい午後の時間を車窓を過ぎていく異国の景色。
昨日までの自分を忘れるかのように、
知らない世界に連れられていく心地よさ。
「男は自殺する代わりに旅に出る。」
たまには必要だよね。
緩やかな山の上には夏雲がくっきりと浮かび上がっているのでした。

暑さと喧騒の那覇。
都市の姿はどこも似ています。
しかし、この暑さ。
信州から来た我々にはちょっと暑すぎ。
ホテルを何個所か周り、
空港経由で遠回りしてホテルへ。
午後5時の光の中に、
ロワジールホテル・オキナワは岸壁の対岸に輝いていました。

チェックインすると早速ホテルのプールへ直行。
インドアプールや屋外プール。
青い空の下のプールは森英恵デザインの蝶々形。
ひとしきら泳いだ後は館内のお風呂へ。
露天風呂もあって快適でした。
リゾート気分をせわしげに楽しんだのでした。

午後6時半。
夜は市内に行こうと言うことで
すぐ近くのバスターミナルから
路線バスに乗って国際通りへ。
暑い。とにかく暑い。日が沈んだというのにこの暑さ。
様々な商店を6人で見て歩きながら、
美っ子さんの案内で、
とうとうやってきました、中央公設市場。

私は市場が大好きです。
京都にいたとき初めて公設市場なるものを知りました。
八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、雑貨屋さん、服屋さん、
果物屋さん、小間物屋さん、土産物屋さん、時計屋さん、等など。
生活に必要なあらゆるお店屋さんの集合体。
喧騒と活気、香り、におい、おじちゃん、おばちゃん、生活、掛け声。
ここ沖縄も同じです。
いや、市場(パサール)は、京都も、那覇も、デンパサールも、ジャカルタも、
パレンバンも、シンガポールも、香港も、石家荘も、上海も、ソウルも同じように見えます。
この雑然とした秩序がなんともいいのです。

お腹を空かした我々は、
一階の魚屋さんで生きの良い魚や蟹を注文すると、
二階の食堂での調理を依頼し、
さらにソーキそば、へちま味噌いだめ、ふーチャンプル、
ゴーヤ焼き飯等を注文し、
市場で買い求めた南国のフルーツともども
生まれてこのかた、こんなに食べたことはないと言うほど
たっぷりごちそうになったのでした。
汗をいっぱいかいた後のオリオンビールの旨かったこと。
また、泡盛のオンザロックの口当たりのよさ。
お刺し身や蟹の味噌汁の旨かったこと。
珍しいものをいっぱい食べて、話に花が咲きました。
食べるほどに、飲むほどに、身も心も満たされていくのでした。
そして、御会計は何とこれだけ食べて、飲んで、
一人あたり5000円でお釣が戻ってきたのでした。
感激。だから、市場は大好きです。
会計担当の恵さんもほっとしたのは言うまでもありません。

その後、国際通りをさらに歩いて、ウインドウショッピング。
そして、健ちゃんのいたお店へ。
健ちゃんは独特な説明で泡盛を薦め、
7年もの、10年もの、15年ものと
試飲、試飲でまたまた盛り上がって、
値段も手ごろだったことから、
ほとんどのお土産をこのお店で買ってしまいました。
しかも宅配便1000円で全て送ってくれるという気前のよさ。
こうして那覇の夜はすっかりふけていきました。

沖縄での3日めの最終日。
再び、レンタカーに乗り込むと一路、南を目指しました。
那覇市内から30分もすればサトウキビ畑が風にゆれています。
眠ったような村や家のたたずまい。
ざわわ−ざわわ−ざわわ−の歌を口にしながら、
やがて、柴田君がかつてバイクで放浪した時に立ち寄ったという平和の塔へ。
断崖絶壁の海は青く、静かにたたずんでいました。

沖縄ガラスの工房を見学するとひめゆりの塔へ。
暑い。
入り口で買い求めた花をひめゆりの塔に献花すると、
平和記念資料館へ。
戦争、戦い、戦(いくさ)、この世の地獄とあの世。
かつてこの島が受けた悲劇の痛みが悲しみが、
ここにはしっかりと存在しています。
静かに、6人それぞれが、それぞれの思いのままに見て歩きました。
戦争の怖さと空しさを、死んでいった者の無念さを、
生き残った者の苦しさを、嘆きを。
重苦しい歴史を、この青い空と海の沖縄が抱えています。
今、この島を覆う赤土の大地と緑の下に、数千、数万の虚無が漂っています。
戦争と沖縄は、第二次大戦後も、朝鮮戦争、ベトナム戦争と続き、
現在も浮沈空母として、基地の島として、ここに存在しています。
日本の安全保障の大部分は、
沖縄の人々の犠牲によって保たれてきたのです。

一方、かつて、インドネシアで、シンガポールで、
独立記念塔や、資料館を見たことがあります。
そこでの侵略者は旧宗主国であり、日本でありました。

人間はなぜ戦争をするのでしょうか。
いや、戦争を好む人間などいません。
戦争は、国と国、政府と政府の戦いです。
今、この瞬間にもバルカン半島で、アフリカ中部で、
砲火が飛び交っています。
平和のための戦い、聖なる戦い、
民族のための戦い、国益のための戦い。
戦う目的は様々でも、
戦いは苦しみと悲劇しか生み出しません。
そして、
戦争はすべてを破壊するのです。
青春を、家族を、人生を、家を、子供を、夢を、父を、母を、思い出を、
すべてを奪っていくのです。
さらに、
紛争の解決手段として戦争を選ぶことは、
21世紀に近づいた人類が選択するには、
あまりにも危険すぎます。
今日の戦争に勝者も敗者もありえません。
あるのは被害者と悲しみだけです。

やがて、ひめゆりの塔を後にした我々は、
重い足取りで再び進路を北に向け、
緩やかに続く丘を越え、
午後の日差しを浴びながら、
やがて喧騒の那覇市内に戻ったのでした。

そして、午後4時半、再び那覇空港に戻ると、
午後6時には地上を離れ、程なく高度10000メートルの雲上の世界へ、
眼下は砂丘のような雲海。
おりしも梅雨前線が本土に停滞し、名古屋空港は雨の予告。
しかし雲の上は快晴。
時折、見られる飛行機が、遠く金色に輝いていました。
真横からの日の光、神々しい光もやがて一筋の光となり、
暗闇が全てをつつみ込む頃、
雲の中を名古屋空港へと降下し、
午後8時、無事着陸。

小牧インターを午後9時。
雨にぬれた中央道を走り、
駒ヶ根に戻ったのは、午後10時半。
沖縄のほんの一部を垣間見たにすぎない旅でした。
しかし、忘れることのできない沖縄の3日間でした。
またいつの日にか、あの青い海と緑の島を、
今度は家族で訪ねたいと思うのです。

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