「豊かさについて」

1996年4月18日
小 原 茂 幸

太平洋戦争が終結して、半世紀が経過しました。
物や情報が足りない時代から、
物も情報も有り余る時代になりました。
苦しい現実から、何とか抜け出そうとして、
知恵と勇気と努力をもって働いてきた、
先人たちの血と汗と涙の賜物です。
今より良い生活を、人より良い生活をと、
明日こそ、明日こそと、夢を追い求めてきた結果です。

そして何時の間にか、
食べられない恐怖の時代から、
食べさせられる恐怖の時代に変わりました。
米の増産は拒否され、減反の時代です。
時代は過飽和の時代になっていたのです。
便利になりました。
24時間365日電話一本で用が足りる時代です。
豊かな時代になったはずです。

しかし、
本当に豊かになったのでしょうか。
物は豊かになったけれど、心の安らぎは得られません。
食べ物は有り余っているのに、
本当に美味いというものを、なかなか口にはできません。
人があふれる街の中で、かえって孤独を感じます。
いつでも誰とでも電話で話せるのに、
心を開いて話せる人は少ないものです。
知識は一杯詰め込んだのに、生きる知恵が足りません。
夜の闇は文明の灯かりに照らされ消滅する一方で、
明るいはずの昼間に人は生きる道を見失っています。

心の時代といわれて久しい時がたちました。
物の豊かさよりも、心の豊かさが求められる時代です。
ところで、
「心の豊かさ」とは何なのでしょうか。

多くの人々が「豊かで快適な生活」を求めています。
物が満ちあふれ、いつも遊んでいられる楽な生活でしょうか。
人間の欲望にはきりがありません。
欲望を追求して行く限り、
一時的な満足はあっても、心の平安はありえません。
なぜなら、対象が常に自分以外の他人との比較の中にあるからです。
「豊かで快適な生活」は、
決して「贅沢で安易な生活」ではないのです。

最近耳ざわりな言葉があります。
「むかつく」「超むかつく」
嫌いな言葉です。
「頭に来た」の風潮の中に、
気にいらないことはしない。
気の合わない人とは関わりたくない、
自己中心の生活のスタイルを変えたくないがために、
自分と意見や行動が違う度に、
むかついていたのではどうなるのでしょう。
大切なことは「心」なのです。
自分以外の物事や人と、如何に関わっていくかが、
重要なのです。

なぜなら、人間は社会的な動物だからです。
人は一人では生きられません。
お互いがお互いと関わりあって生きているのです。
それぞれの時代に生まれ、それぞれの生まれた地から、
何らかの機会の中で出会い、そして関わりをもっていく。
その関わり合いの中で、喜び、怒り、憂い、悲しみ、祈るのです。
その心こそが、生きている証しなのです。

この世に生を受けた時を縦糸に、その生まれた地を横糸にして、
一歩、一歩進んでゆく。
みずからの足と手を持って、
この世に一枚しかない布を織り上げていく。
平凡な日常の中での様々な出来事を
一つ一つ乗り越えていく。
前進しようとする、生き生きとした心。
それぞれの個人が持つ幅の広い、
奥の深い「心」が、
「豊かな生活」を創造するのではないのでしょうか。

お金では変えないものが多々あります。
どんな財産家であっても、
自分の手を使って作った椅子に満足したり、
自分が釣り上げた魚を自慢したりするものです。
山の頂上を目指すのに、
なぜ自分の足を使って登った方が気持ちが良いのでしょうか。

真の豊かさとは、
財産ではない、お金でもない、権力でもない、ましてや怠惰でもありません。
「人生に必要なものは、愛と勇気とサムマネー。」(C.S.Chaplin)
「愛と勇気」今の世においては気恥ずかしくなる言葉です。
しかし、一握りの有名なるものが次々と堕落する時代です。
それは無数の無名なるものがそれぞれに輝く時でもあります。
今、求められているのは自らに関わり合うものへの、
誠実な心、とりわけ愛と勇気なのかもしれません。



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